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岡田以蔵と境界性パーソナリティ障害について妄想する

「神なき天誅」では、以蔵のキャラ解釈は境界性パーソナリティ障害をベースにしています。(作中では具体的な病名を出すのは避けましたが)

境界性パーソナリティ障害とは

境界性パーソナリティ障害は、人間関係、自己像、気分、行動の不安定性、そして拒絶されたり、見捨てられたりする可能性に対する過敏性を特徴とします。
出典:MSDマニュアル家庭版

ネットスラングではボーダーとかボダとか呼ばれてます。
「愛されたい」「必要とされたい」「自分の全てを受け入れてほしい」という欲求が強く、そのために(良くも悪くも)死に物狂いで努力するタイプです。それが叶わないとわかった瞬間急に相手を攻撃しだしたり、逆に自傷行為に走ったりもします。
代表的な有名人は太宰治とか尾崎豊とか、ダイアナ妃とか。(なので太宰と尾崎は結構参考にさせていただきました)

史実の以蔵さんがボダだと断言できる要素はないのですが、この障害のことを知った時、もしも彼がボダだとしたら史実での突拍子もない行動の数々もなんとなく自分の中で腑に落ちる感覚がありました。たとえば、

  • ある日突然土佐勤から出奔している
  • 高杉晋作→坂本龍馬→勝海舟とあちこち転々とするがいずれも突然関係を絶っている
  • 元治元年に捕縛された際は「酒と女に依存していた」という逸話がある
  • 理由はわからないが、投獄されて以降武市とは険悪な関係になっている
  • ↑多分自白が関係しているのだろうが、そもそも何故自白したのかも謎

など、探せばまだまだあります。

じゃあ普段から問題児だったのかといわれればそういうわけでもないようで。
参考までに、勝海舟先生の氷川清話にある有名な逸話を引用します。

しかたなしにその夜は市中を歩いていたら、ちょうど寺町通りで三人の壮士がいきなりおれの前へ現れて、ものをもいわず切りつけた。驚いておれは後へ避けたところが、おれの側にいた土州の岡田以蔵が、にわかに長刀を引き抜いて、一人の壮士をまっ二つに斬った。「弱虫どもが、何をするか」と一喝したので、あとの二人はその勢いに辟易して、どこともなく逃げていった。おれもやっとのことで虎の口をのがれたが、なにぶん岡田の早業には感心したよ。

(中略)

後日、おれは岡田に向かって、「君は人を殺すことをたしなんではいけない。先日のような挙動は改めたがよかろう」と忠告したら、「先生。それでもあのとき私がいなかったら、先生の首は既に飛んでしまっていましょう」といったが、これにはおれも一言もなかったよ。

この話を読むだけでも、機転の効く人だったのだろうと想像できます。

元は農家とはいえ郷士の身分を買えるぐらいの収入があり、城下町の上士が住めるエリアに近い場所に家があり(土佐藩の城下町では、お城に近いエリアは上士しか住めない)、10代のうちに砲術を学ぶぐらい教養のある家庭に育った人です。なんなら中岡さんと同じ塾に通っていたという説すらあります。武市先生とも脱藩する直前まで目立った揉め事があった様子も史料からは見受けられず、「そんな彼がなぜ?」とずっと思っていましたが…

ここから先は完全に妄想の域ですが、これら全てが彼自身が望んだ人生ではなかったとしたら?周囲に愛されたい、必要とされたいがために必死にその環境に適応しようとしてきた反動が出たのが後年の彼だとしたら?

なぜそんな発想に至ったのかといえば、晩年獄中であった武市先生への尋問のひとつに、

以蔵は若年の時より世話致し候者なれど、とかく心行不正にて、たびたび義絶のことを思えども、親よりたびたび頼まれ候故、ただただ親を気の毒に存じ、そのままにておりしなり

という回答があります。
この頃の以蔵さんと武市先生は修復不可能なレベルまで関係が悪化してるので、この回答も武市先生の個人的な感情が混じっているかもしれず正確とは言えないのですが…
仮に100%嘘でもないとすると、子供の頃から以蔵は「心行不正」だと思われていたことにはならないでしょうか。本当に親まで頼みに来ていたなら、親からもそういう扱いを受けていた可能性すら受け取れます。
それはそれで「武家社会に適応してほしい」という周囲の愛情だったのかもしれません。当時の時代背景、土佐藩の環境を考えれば適切な育て方でしょう。晩年、史実でもお父さんは以蔵さんの毒殺に反対していますし、愛情はあったと思います。
しかし、それが以蔵の求める愛情ではなかったとしたらどうなのか。
あるいは、そもそも愛情を受け取る受け皿が壊れていたとしたらどうなのか。

それは立派な自己否定に繋がりますし、「ありのままの自分でいてはいけない」という考えに繋がり得ます。そして大人になってから「ありのままの自分を全て受け入れてくれる何か」を探し求める亡霊のようになる…それが境界性パーソナリティ障害です。

(※ここまで全て妄想です。学説的に以蔵=ボダ説を唱えているわけではありません)

そこから抜け出すには周囲に認められなかった「ありのままの自分」を自分自身が認めてあげるしかないのですが、現実でもそこに辿り着けないボダ当事者さんはたくさんいます。辿り着くまでに見たくないものと直面しますし、たくさんの苦痛を要するので…

それを後編でやりたいのですが、さてどうやって切り出そう…と筆が止まってるところです_(┐「ε:)_
以蔵の回復と自立は描きたいけど、そこだけで終わると最後に付喪神が現れるシーンで読者は「え?自立したんじゃなかったの?」と受け取りかねない。
以蔵の自立=付喪神への信仰を捨てるわけではないことを順を追って描写していかないとなんだけど、それが難しいんだよなーーーーー

そんな状態なので後編の公開まではしばらくかかりそうですが、また進捗など上げにきます。

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