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神なき天誅①17-30p更新しました

神なき天誅① 1〜30p

暫くバタバタで全然更新できておらずすみません。4月入ってからやっと落ち着いてきました。以蔵誕(新暦)に間に合わなかったどころか新年度跨いじゃったよ。日に日に筆が遅くなってくのでペース配分考え直さないとな…

進捗は48p中の30p目です。
今回の更新分、ちょいちょいグロ描写が入るので一応冒頭に注釈を入れました。年齢制限を設けるか迷いましたが、とりあえず注釈だけで様子を見ます。

さて本編ではやっと出せました、本間精一郎さん!!!!

本間精一郎とは

幕末草莽志士。天保5年正月24越後(新潟県)寺泊(現長岡市)の商家に生まれる。1853年(嘉永6江戸に上り幕臣川路聖謨の中小姓となり、昌平黌(しょうへいこう)安積艮斎(あさかごんさい)に学んだ。59年(安政6)川路に随行して西上したころから勤王活動を深め、安政の大獄で伏見入獄。出獄後、京を中心に活動し、青蓮院宮家に出入りして諸国浪士と交わり、長州、四国、九州に遊説した。好んで長刀を帯び、言説は雄弁過激で同志反感と誤解を買うこともあった。そのため文久2年閏820日斬殺され四条河原に梟首された。犯人は土佐藩士ともいう。長岡市寺泊地区に生誕地の碑がある。

(コトバンクから引用)

三セカでは一コマだけ現れて一瞬で死んだ本間さん、今回はがっつり話に絡みます。土佐勤の同志ではあるけど当事者ではないので、一番以蔵のことも武市先生のことも客観的に見れる立場だと思って描いてるよ。(三セカだと貞也ポジションに近いかもしれない。すぐ死ぬけど)

史実では弁舌に長けた方だったようで、言ってることは正論なんだけど言い方がどぎつくてあちこちで人間関係が険悪になったらしい。(土佐勤の前には薩摩の精忠組とも揉めてる)
彼の思想は「攘夷はするべきだがそのために天誅は必要ではない」という考えで、どうやら土佐勤の天誅を止めたかったようなのです。それが原因で土佐勤のターゲットになってしまったんですが
うちの自他境界ブレブレな以蔵とは真逆の道を行く人なので、この辺の対比を描けたら面白そう。

ひょんなことから今週末新潟に行けることになったので、本間さんの故郷まで足を伸ばしてきます。初の日本海側!!

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